「我書アート」は自分を深く見つめ感じることにより湧き上がってくる言葉をアートにします。自らを表現した言葉の作品は、大きな癒しのエネルギーを発すると共に、コーチングであり、セラピーであり、気づきとの新鮮な出会でもあります。
我書アート
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2008年04月20日開催
東京 代々木 桜花亭
我書アートワークショップ作品と感想






 予想外の言葉が出てきてビックリ! 自分の字がとても生き生きとしていて信じられないくらいです。
 自分を信じてみようと思うことが出来ました。自然な自分を受け入れました。
 今ある自然な自分に、あまり自信がなかった私ですが、とても自信がもてて、最後、涙がでるとは思いもしませんでした。  
 ただただ、ありがとう!!  
         『30代 男性』


 貴重な体験をありがとうございました。
 みなさんが無意識に書いたものの中に、「生の俺」や「父一人」や「今ここ」が読めたり、親子が「遊ぶ、あそぶ」の字                       を共有していたり、たぶん真剣に考えることによって包み隠しのない真我は天に通ずるところがあるのでしょう。
 アート創造の原点かもしれません。「壁」の中にも「口」や「辛」や「土地」や「父」や象徴的に読める箇所がいくつかあります。 「壁」(イリュージョン)は、なかなか満足の行く作品でした。
 見返してみると、天地内外の四つの点を決めてしまうことによって実体のないものを己が創り出していること、すこし動かせば 消えていってしまうことが、よく表現できているなと自書自賛。ニンマリしています。
        『40代 経営者』










 書きすすめるうちに、自分の気持ちと筆の動きが重なってくるという不思議な感覚を体験しました。  
        『40代 会社役員』


 自分が書いた作品を観て、なぜか体があったかい気持ちになった。
 やっぱり、私は私でいい人だと思った。
 みんなの作品を見て、個性というより、その人、本人がそのまま表れていると思った。
 作品+額(色)もトータルにおいて、観ていてしっくりくるものばかりだった。
 短い時間でしたが、楽しむことが出来ました。ありがとうございました。  
           『20代 女性』






 偶然かもしれませんが仕事においてもプライベートにおいても自分の中におきている変化に向き合うような、 そんなタイミングで今回参加させていただきました。
 自分を観る、ということは長いことしていますが、今回は書に言葉を込めることで、自分のこころの動きが 止められていくように感じられて、とてもそれが嬉しかったです。
 自分の中から湧き出た言葉を素敵に飾っていただいたことにも、自分自身に大きな◎をつけられたような そんな素敵な体験になりました。
 洋子さんからも自分をさらしている生き様を感じられたことも大きな収穫でした。
 名古屋から行った甲斐がありました。ありがとうございました!


 最初に心の中に思ったのは、自分に対するイライラ・不安といったことだった。
 でも、書いているうちに、『自分がどう生きていきたいのか』ということを考えていくようになり、最後は、
『ありのままの俺で生きる』ということでした。
 この作品、大切にします。
            『30代 男性』






 「こころの声」が形になる驚き、しかももっともふさわしい形で残るのは感動ものだった。
 自分の作品もそうだが、他の人の作品を見る機会は、こうした場にいあわせた人だけの特権であり恵みでもあった。
 自問自答という言葉があるが、まさにこれは「自分の心に問いかけ、自分で回答する究極の答えだ」と思った。
 心(魂)は答えを知っているということを、他人の視点ではなく、自分の体験としてわかることはすばらしい。
 とてもシンプルなのに結果(作品)は、自分のまったく予想を超えたものになった、まさに人生アートの醍醐味
       『60代 編集者』








 怒り、かなしみが多かった。
 『私を愛してよ!』『さみしいよ!』とうったえていましたが、本当は『私、愛されている』と感じることが出来なかっただけ。
 自分を愛すること、愛されていると実感がもてた。目で見て、自分の字にあたたかい愛を感じることができました。
 心の底って、本当にみつめようとしないとみえてこないものだと思った。
 発想の転換で、ポジティブになれる、とても素敵なワークでした。
 ありがとうございました。  
        『20代 看護師』




 無心に心に浮かぶ言葉から、自分のわくわくする言葉を選んで、自由に書く という作業を通じて、自分の欲しい状態がすっきりとした言葉で表現出来て嬉しかったです。
 いろいろぐちゃぐちゃか考えることが多いですが、本質はいたって単純でかわいらしいものです。
 等身大の自分を認めて生きて行きたい!っていう心の叫びを字にしていくうちに、あるときすとんと心に落ちて、 そこからだんだん楽しくなってきて、自由に書いていたらシンプルになりました。自分の欲しい自分の世界です。
 色も、自分で黄色い自分をイメージして書いていたら、黄色の額に入れて頂いて驚きました。
 すごく嬉しいです。ありがとうございました。




 今までずっと課題にしていた家族の問題に真正面からみなおし、向き合うことができ、 驚くほど短時間のうちに深い気付きを得ることが出来ました。
 これまで見れなかった角度で考えられるようになったので、すごく楽になると思います。
 家族を負担と思いついた自分がいましたが、支えているという事を受け入れ、逆にその事に支えられている という事実にいきあたりました。
 これまで、自分を無力と思わせていた存在だった。家族は、この気付きで逆に力を与えてくれる存在になると思います。  
        『30代 会社経営』


 たくさんの発見と気づきを得ることができました。
 今回の体験を振り返って、自分のいつもの創作パターン(自分のイメージした作品を作るという意識)の中にいたことに気づきました。
 我書アートでは、作品(結果)を創作するのではなく、そこ(作品)に辿り着くプロセス(心の動きや変化、感情)をそのまま言葉で 書き綴っていきましたが、その作業が、そのまま「創作」であり「作品」になっているという点が、私にとってはとても新鮮で新しい発見でした。
 この発見は、創作における自分のパターン(枠)を外して創作の世界を広げてくれそうです!
 そして、それは創作の世界だけでなく、人生におけるパターン(枠)も外してくれそうです!
 また、筆と墨は、迷いや思考が入り込む隙間を与えず、自分本来の線やエネルギーがそのまま表現されると感じました。
 これも自分の表現方法と対照的なので、とてもいいヒントになりました。
 プロセス(心の変化や気づき)を大切にして自分の中に落とし込んでいきながら自分を癒し、その先に進む力(メッセージ)を自分の中から引き出していく・・・
 これを自分一人だけで進めていけるところが我書アートの素晴らしいところだと思いました。
 終盤、無理矢理作品としてまとめあげてしまったと思う部分もあり、ワーク終了時は、もっと満足する作品を作りたかったという気持ちが強く、 創作時間がもう少し欲しかったと思っていました。
 しかし、持ち帰った書き綴った言葉たちを眺めていたら、そのどれもが可能性を秘めた作品なのだと思えるようになり、手を加えて作品として完成させたい と思うようになりました。
 自分の「言葉」が決まった後は、作品として完璧なイメージを追い求めていたところがあります。
 最後の作品として提出した作品は、まだプロセスの途中なので少し物足りなさがあり、もっと創作時間が欲しかったと感じました。
 しかし、額装された自分の作品と対面した瞬間、自分の作品に喜びと満足感と嬉しさを感じました。
 それは、自分自身に対する喜びと満足感でもありました。                       
 たくさんの素敵な体験とヒントをいただいた楽しく貴重な時間でした。ありがとうございました。  
        『30代 女性』




      

●ここ2年間ぐらい、物事が前に進みにくく、いろんな現実の前にたじろいている状態でした。
  ちょっと大きく自分を展開させていたいと思っていたのですが、自分が動きにくい。一度自分を手放すことが必要とどこかで感じていました。
 そこで、「自分自身を(社会への、クライアントへの)贈り物」とぶん投げてしまうことで突破することを意図しました。
 時間が余ったので、自分の会社のマーケティング戦略に関して考え込むことになりました。今まさに取り組んでいるところです。会社といっても、ほとんど個人会社ですから会社のマーケティングとは自分の商品化です。自分をどのようにブランディングするのか、すなわち、人々からどのように見てもらいたいのか、という課題です。
 これが明確になれば、それを深める強化するということを業務の中で行い、それをうまく人々に届くように表現することが行えます。
 これについても、我書アートの空間、時間の助けを借りると、ポロリと出ました。とてもシンプルですが、まさに自分のやっていることだし、会社の私以外の人も同様に持つことができる内容です。

●我書アートの内観というのはすごいですね。このことは何ヶ月も考えていたのですが、どういうわけか、たった2〜3時間の内観で一番ほしい結論にいたってしまう!洋子さんがボードで説明するのを聞いているときにも内観は進んでいます。内観はいろいろな方向に進もうとします。
 でも、洋子さんの説明が内観の方向性を、「より深く」「よりキラキラした」「自分よがりでなく、他人を傷つけない」「より普遍性のある」ものにリードしてくれる、2回目の参加でそのことがわかりました。自分をどのようにブランディングするのか、すなわち、人々からどのように見てもらいたいのか、という課題です。
 このことは人生を歩むためにとても基本的で、誰もが必要とする方向性だと思います。もう一度参加したらさらにわかるかもしれませんが、我書アートの奥深さを発見したように思います。我書アートをブランディングし、マーケティングしていくために非常に重要なことに気づいたのではないかと。
 でも、ここまで述べたのは、我書アートの「我書」という部分についてです。「アート」の部分にあまり触れていない。
 自分が自分自身の内側に気づいていく。これって、とても狭い世界。言うなれば、「勝手にやってろよ」というもの。
 これを「アート」に昇華していくことで、自分の恨みや被害者意識、劣等感、後悔などの小さなエゴの意識や感情が同時に昇華され、どんな人でも「ああ、そうだよね」というものに変容していく。「勝手にやってろ」の世界が、「誰が見ても心を打たれる」ものに化ける。この「汚れた感情の美への変容」と「普遍化」が、「我書アート」のアートたるもの。

●「よしだこういちを、この世に、あなたに、この仕事に、贈ります」というのは、普遍化を行う前の状態、「勝手にやってろ」のレベルです。
 これを普遍化していくと、「よしだこういち」という固有名詞を、「私は」とか「プロとは」などと入れ替えていくことになる。
 自分を贈り物にすることの喜びやすがすがしさ、その結果による美しい境地をシンボライズしたアートに昇華していくことになったのだと思います。
 それはそれとして、今の自分に必要なことは「よしだこういち」であったのです。だから、そのレベルで止めました。
 「なんでもわかってくれてたよれるひと」というのも同様です。
 それはそれで良かったのですが・・・・ 2枚の「作品」を家に持って帰り、早速飾ろうとしたところで、それは起こりました。
 前作はこの2年間リビングに飾ってあるのですが、今回のものは「それはこの家には飾らないでほしい」という妻の反対に遭ってしまったのです。
 家に飾ろうとした場合には、アートとしての昇華が必要になるのですね。
 生きていく中でいろいろなことが起きますから、ちゃんと基本位置に引き戻すために作品は自分が毎日目に触れるところに飾ることが望ましい。
 でも、一人暮らしでなければ他の人の目にも触れる。アートとしての昇華や普遍化以前の「勝手にやってろ」モードだと飾っておけないのですね。
 (一人暮らしであったとしても、毎日見ているといやになってくるかもしれません。)
 私の場合は、今回作品を会社の執務室(来客がこない部屋)に掛けようとしています。それなら問題ないはずなので。

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