「我書アート」は自分を深く見つめ感じることにより湧き上がってくる言葉をアートにします。自らを表現した言葉の作品は、大きな癒しのエネルギーを発すると共に、コーチングであり、セラピーであり、気づきとの新鮮な出会でもあります。
我書アート
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 色紙に墨文字で書かれた心に響く言葉。
書道家や詩人、著名人が書いた、そんな何気ない色紙の言葉に、私たちの心はやわらぎ癒されます。
 そして、こんな言葉通りに私も過ごしていきたいとも、
 こんな言葉を大切にしたいとも思います。
 けれど、それらすべてがもつどんな感動よりも、癒しよりも、もっともっと素晴らしいものを与えてくれる作家がいるのを知っていますか?
 それはあなた自身です。信じられない!?でも騙されたと思ってチャレンジ!!


【注】 この記事は、雑誌アネモネ2004年3月号に掲載されたもので、「我書アート」についての簡単な概略をご紹介しております。ワークショップの中でお伝えしている具体的な内容は含まれておりませんのでご了承ください。




自分の心の声に耳を傾けポジティブに完成させる
 私が考案した『我書アート』は、墨と筆を使って文字を書くので書道の一種だと思う方もいるかもしれません、でも実はアートであって、書道とは似てはいても、別のものなんです。
 書道だと、筆の持ち方、姿勢、文字の形のルールみたいなものや、じょうずへたの物差しがありますが、これはアートですから、そういうものは一切ないんです。
ルールといえば、
@自分の心の奥からわきあがってくる言葉に耳を傾けて、自由な発想で自由に描くということ。
Aマイナスの言葉が出てきたら、必ずプラスの言葉で締めくくるということ。
B描いた作品を自分で鑑賞するということ
ぐらいです。
 その作品が、描いた人にとって最高の癒しになるのです。それは、私自身がそうだったから・・・。自身をもっていえます。

 10年ほど前、私は離婚したあと精神的にどん底の状態をしばらく続けていました。怒りややるせなさ、そういうものが心のなかに、すごくいっぱい詰まっていたときです。
 この気持ちを吐き出したくてしょうがないけど、どうしたらいいかわからない。毎日イライラしていて、このままではおかしくなっちゃう、という時期でした。ふと墨で何かを描いてみたいな、という思いがわいてきたんです、そういうこと、やったことがないのに。でも、やりたいし、何かできそうな気がしたんですね。深いところで。
 イメージとしては、現代アートを描くつもりだったんですが、ちっとも描けない。この理由は後でわかったんですが、自分のなかにあるマイナスの思いが解消されない限り描けないことになってたんですね。
 それで、描いたものは、それはもうひどい落書きのようなものはっかり。ちっともイメージ通りの現代アートは描けなかったんです。 そのギャップがすごくて、できるはずなのになぜだろうって考えました。



自分のなかにある思いをすべてノートに書き出す
 「よし、ではもう一回心を鎮めて・・・」と瞑想のようなものをしてみました。そのとき、ありがとうという言葉がなぜか浮かんできたんです。
 私はそのまま「あ・り・が・と・う」と描いてみました。そして、その描いたものを見たとき、すこく自分自身が癒されたのです。別れた夫を憎んでいたり、怒りとかいっぱいあったのに、深い深いところからは、ありがとうという言葉がわいてきた。
 私自身、ものすごく意外でとても驚きました。でも「そうだ。自分の思いをそのまま素直に言葉にして、それを作品にすればいいんだ」とふと思ったんです。
 それから、自分自身のなかにあるいろいろな思いを整理してみよう、とノートに書き出すことをしました。それらの言葉から作品を作りはじめたのです。
すると、作品を作れば作るほど、自分の中がすーっと整理されていくのが感じられたのです。
 自分自身を顧みたり、どうしてこのときこの感情が浮かんできたのだろうとか、なぜあの人にあんなことをしたのかしらとか、そのような自分の過去の行いがどんどん見えてきました。
 それを文章にすることによって、自分のなかがとてもはっきりとしてきたんですね。ノートは何冊にもなりました。夜から書きはじめて、気がつくと明け方ということもありました。
 初期のノートはすさまじかったですね。憎らしいとか殺したいとか、私ばかりがこんな思いをしてとか、あいつが憎いとか。両親に対する怒りのような、今まで生きてきた過程でかかえてきたネガティブなものが、一斉に出てきたんです。
 それでも一応全部書き出してみて、そのなかから一番自分のいいたいことを作品にしてみることにしました。
でも、そのネガティブなものを、そのまま描いたら、とってもイヤな感じがしたんですね。
 それで、そのネガティブなものを自分のなかでポジティブに変えることにしました。今は憎らしく許せないのだけれども、作品上ではすでに許したものとしてみたのです。



作品上でネガティブをポジティブに変えてみたら
 でも、これを観ているうちに本当にその気になってくるんですね。それからは、こうあったらいいな、という自分の理想の形を作品にしていきました。
 こうして自分の描いた作品に、自分自身が癒されすごく元気になっていったんです。作品が何百も描きたまったころ、人に観てもらいたいという気持ちから、「KINTAROAEM」という本にして出してみました。
 すると、その本を読んだ人からも、やはりすごく癒されたという感想をいただいたのです。
 いろいろな方々から、これを人に教えたらどうですか?とうながされたりもしたのですが、自分なりにはじめたものの、人に教える方法とか、心の準備に時間がかかりました。
 そして、ようやく昨年(2003年)から、ワークショップを開けるようになったんです。
 ワークのよいところは、場も共有できますし、最後の作品発表がシェアリングの機会になっているところです。共感しあうというのは、観る側も作者も共にとても嬉しいことですからね。
 でも、もちろん一人でやることも可能です。ご家族でやって、居間や勉強部屋などに飾っておいてもよいと思います。
 何よりも、自分の描いたものに癒されるということが本当にすごいです。
「あ、そうだ。そうなんだよな」って、自分が自分に励まされる。私に起こった同じことが、皆さんにも起きているのです。



その人にしかかけない今その人に一番必要な言葉
 人間というのは、本当にすごいと思います。というのも、与えられた情報や人の書いた名文でなくても、自分のなかから出てきた言葉で、ちゃんと自分を癒すことができるからです。
 皆さんはじめは、すでにある他人の作品を見て、私にはとても無理だと思われるようです。
 でも実際、生まれてはじめて墨で作品を描いても、ちゃんとその人しか描けない作品ができて、そのときその人に一番必要な言葉が、自分の奥からでてきている。どれも素晴らしいものばかりです。
 ワークをやっていると、人間というのは何も教えなくても、すべてもともと備わっているものなんだなぁ、ってすごく思いますね。







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